僕とラブライブ!との時間の話
ラブライブ!各シリーズに対して僕がどういう気持ちで向き合っているか、1度言葉にしておこうと思っていたので今回やっとこうと思います。
僕と、μ‘sと、虹ヶ咲と、Liella!と、そしてAqoursの話。
「ラブライブ!」というコンテンツの魅力の1つは、「みんなで叶える物語」というキャッチコピーに如実に現れるように、活躍するキャラクター達やキャストと我々ファンが共に同じ時間を駆け抜け、その瞬間瞬間を重ねて歴史を紡ぐ"参加型"コンテンツであるところだと思います。
多分、というか間違いなく僕が真の意味*1でこの"みんな"に入ったのは最近、というか虹ヶ咲からなんだと思っていて。
今でこそ自分はラブライブ!色の強いオタクっていう自負があるけど、そもそも僕がコンテンツにハマったのは2016年2月。
μ‘sがFINALライブを控え、その活動に一端の幕を降ろそうとする直前の時期でした。
ほんの少しの時間だったけどμ‘sと紡いだ時間があるのは自分にとって誇り。
だけどその時間以上のものをμ‘sは既に築き上げてきていて、そしてそんなμ‘sと駆け抜けてきた人達がいたのは事実としてあって。
だから、μ‘sの皆が歌う詞は僕にとってはどこか他人事のようで、それらが"神話"と呼ばれることに違和感はありませんでした。
μ‘sが駆け抜けた約6年の歴史とそれが含む「みんな」の中に自分を感じる瞬間はなくて物凄く後悔を抱えた時間がありました。
でもシリーズが9周年を迎えたタイミングでμ‘sがまたたくさん姿を見せてくれるようになって、そしてライブビューイングという形ではあったけど、ラブライブ!フェスでμ‘sと同じ時間を過ごすことができました。
もうできないまま終わっていくのかもしれないなんて思っていたμ‘sメンバーのコール&レスポンスに参加できたり、スノハレのあのオレンジの輝きの一部になれたりと、言葉にならない素敵な時間を過ごすことができました。
そして、リリースされたシングル「A song for You! You? You!!」。
それはラブライブ!というコンテンツを支えてきたたくさんの「みんな」に向けた感謝の曲で、その「みんな」の枠の中に僕も含めてくれていたんですよね。
μ‘sが表舞台に現れなくなってからもμ‘sが好きだと、南ことりちゃんが1番好きだとただ自分の「大好き」にまっすぐで居続けた僕の想いや時間、それら全てを肯定してくれるこの曲は、僕にμ‘sの曲を聴いて初めて「当事者意識」のようなものを感じさせてくれました。
あきらめないかぎり
奇跡は何度でもおこるんだ
君には もう伝わってるね
実際にたくさんの奇跡を起こしてきたμ‘sが紡ぐその言葉にはあまりにも強い"説得力"があって。
そんな人達が「応援してくれてありがとう!これからもよろしくね」と「あなたと新しい物語を作りたい」と言ってくれることが何より嬉しかったし、説得力があるからその言葉は信じられる。
今はまたμ‘sが表舞台に現れる機会はほとんどなくなってしまったけど、そんな今にも確かに"μ‘s"の面影を感じる瞬間はたくさんあって、その度に「あぁ、μ‘sは今も生き続けてるんだ。」と思えています。
夢を、願いを、実際に叶えてくれるμ‘sが信じられるし、そんなμ‘sだからこそ僕はラブライブ!と歩んでいく中で安心して新しい希望を抱くことができるんです。
μ‘sとの時間は僕にとって今も尚続く大切な時間です。
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ではAqoursはどうだろう。
僕がラブライブ!にハマった時に既にAqoursは産声をあげて間もない頃で、まさにこれから羽ばたこうとしている所でした。
でも当時高校生だった僕にとってラブライブ!はめちゃくちゃ好きなコンテンツの1つであって、そんな真剣にAqoursを、ラブライブ!ってコンテンツを追いかけられたかと聞かれると自信を持って首を縦に振れないなと思っています。
もちろんアニメは見てたし、曲も全部聴いた。
スクフェスも毎日欠かさずプレイして自分なりのLove Live!Daysを過ごしてはいた。
でもやっぱりAqoursと共に走ってる感覚はなかった。
ラブライブ!ってコンテンツにファンが"参加"する方法って色々あって、それこそ投票企画に参加したり、曲を聴いたりアニメを見たり、スクフェスやスクスタをプレイすることだってその内の1つだと思います。
でも、ファンとして一番参加してるって実感が得られるのって実際にラブライブ!と共に何かを作り上げることで、その中で一番大きなことがライブに参加して同じ時間や想いでを作ることなんじゃないかなって感じるんですよね。
μ‘sが、Aqoursが目の前でパフォーマンスをして、それを応援したり目の前で繰り広げられる物語に涙したり。
ふと周りを見れば一緒に同じ物語に参加してる"仲間"の存在も感じられる。
その時の思い出は色褪せない大切なものになるだろうし、時間が経って仲間とその思い出を共有し合うことで「あぁ、僕達はあそこにいたんだ」って参加したって事実を噛みしめることだってできる。
でも僕はそれをしてなかった。
そもそも、地方住みの高校生がCDや円盤買ってチケット当てて遠征するってだけでも馬鹿にならないコストが掛かるし、通ってたとこは(一応)進学校だから土日に模試や補習やらで学校に行かなきゃいけない日もありました。
今思えば数日休んだりサボることもできたかもしれないけれど。
でも少なくともそんな理由で授業を休む人間は周りに誰もいなかったから、そんな考え思いつかなかったんだろうな。
後は遠征するよりもコストが掛からない楽しみに恵まれてたのもあります。僕は友達に恵まれていたなと感じるし、自分が好きなコンテンツはラブライブ!以外にもたくさんありました。
そんなこんなで、まさに受け身でコンテンツ*2と関わっていたから必然的にAqoursの物語に"参加してる"って意識はなかったし、気づいた時にはAqoursは長く険しく果てしない物語を紡いでいました。
それは今も変わってないと思います。僕がAqoursに追いついてない。
僕と、μ‘sと、Aqours。
理由はどうあれ共に駆け抜けた時間がないことには変わりないのに、どうしてこんなに向き合い方に差が生まれたんだろう。
「環境」はあるかもしれない。
高校生だったから。
新幹線もない、高速バスも安くても片道で7千円かかる田舎だったから。
そもそも高校はアルバイト禁止だったし月のお小遣いも高くて5千円くらいだったから。
ラブライブ!以外にも好きなものがたくさんあったから。
多分どれも正解で、理由の1つに違いないんだと思います。
でも一番の理由って「推し」なんじゃないかなって思うんです。
僕は南ことりちゃんが好きです。推しです。
μ‘sの中では言うまでもなく、ラブライブ!シリーズ全体、いや今まで自分が出会ってきたどのキャラクターや人間と比較しても一番好きです。
ことりちゃんの優しさが、色んなことを受け入れてくれる器の大きさが好きで、こうなりたいって思ったから。心の底から尊敬してるから。
だからことりちゃんのことはもっと知りたいってなって調べるし、供給はできるだけ受けたくなる。
ことりちゃんに触れると必然的にμ‘sに触れる。
μ‘sに触れるとラブライブ!に触れる。
僕がラブライブ!を今までずっと好きで居続けられているのは、僕がことりちゃんのことをずっと大好きで居続けられているからだと思うんです。
ことりちゃんが好きだから、彼女の人となりが、思想が好きだから。
僕が虹ヶ咲で優木せつ菜ちゃんを推しているのも根本を辿ればそこに行きつきます。
でも、僕にAqoursの推しはいません。
「好き」はあります。というか大前提として皆好きです。
メンバーを好きな順に並べてと言われれば並べれます。
でもその中の1番は「推し」ではないって思ってます。
それは「1番好き」であって「推し」ではないから。*3
推しがいないから。
知りたい、もっと供給が欲しいって思える相手がいなかったから。
だから当時の僕にとってAqoursは、「ラブライブ!サンシャイン!!」は
好きなコンテンツの域を超えなかったんだろうなと思います。
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僕にとって虹ヶ咲はμ‘s、Aqoursと比べて"参加"してるって自信を持って言えます。
一応スクフェスはやってたから、PDPの頃から様子は見てました。
てんふぇすも読んでたし、ABEMAでやってた番組も見た。
あーでも媒体別活動は追えてなかったかな……。
この頃になるとサブスクが一般的になってきたのもあって、1stアルバム『TOKIMEKI Runners』はリリースされて間もなく聴くことができた。
スクスタはリリース直後にダウンロードしました。
ことりちゃんのURが欲しくて30回くらいリセマラした記憶があります。
でも1stライブは行かなかった。
スクスタのストーリークリアしたらチケット貰えるキャンペーンがあったんですけど、それで運よく当たれば行くか~くらいだったし当たんなかった以上はまぁいっかくらいで済ませちゃったんですよね。
ここまではある意味でそれまでのラブライブ!との向き合い方の延長線上みたいな感覚だったと思います。
転機になったのは2020年の上半期だと思います。
スクスタっていう定期的に供給をくれるコンテンツのおかげで、優木せつ菜ちゃんのキズナエピソードと出会いました。
元々虹ヶ咲のメンバーの中では一番のお気に入りではあったせつ菜ちゃんですが、彼女が自分自身の「大好き」と向き合うまでの2ndアルバム準拠のストーリーはもちろんのこと、彼女の掲げる"野望"に深く踏み込んだ3rdアルバム準拠のストーリーがあまりにも自分に刺さってしまいました。
虹ヶ咲が僕に与えたものはそれだけじゃなくて、無敵級*ビリーバーだったり、三船栞子ちゃんの存在だったり……。
僕を虜にするには過剰すぎるほどのものを虹ヶ咲から貰いました。
それからというもの、2ndライブとか、TVアニメとか。
日々が虹ヶ咲によってますます色づいていきました。
2021年からは「校内シャッフルフェスティバル」をきっかけにライブにも現地参加するようになって、自分が直接スクールアイドル達のパフォーマンスを享受する楽しみを得られました。
「あなたと叶える物語」の「あなた*4」としてたくさんの思い出を作ってきたんです。
今自分が楽しいって言える僕のLove Live!Daysは虹ヶ咲と紡いできているモノが大きなウェイトを占めているんだろうなと思います。
そんな"楽しい"に満ちたこの時間はきっとこれからも続いていくって確信があります。
それは絶対絶対かわんない将来なんだと信じています。
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ラブライブ!フェスを見たということは、『ラブライブ!スーパースター!!』を、Liella!を始まりから見ているということになります。
結論から言うと僕はLiella!をAqoursと虹ヶ咲の中間くらいの感覚で追ってるんだろうなと思います。
もちろんアニメは見たし、公式からの供給は一通り受けています。
が、Aqoursと同じく僕はLiella!に推しはいません。
"気になっている"という括りなら1期生は可可ちゃんとすみれちゃん、2期生は四季ちゃんが気になっています。
が、"推し"ではありません。
ここまで言えばなんとなくわかるかもしれませんが、僕はLiella!に対しては受け身な向き合い方になっていると言わざるを得ないと思います。*5
だけどその一方、縁があってFirst Love Live! Tour ~starlines~ 岡山公演に両日現地参加することができました。
Liella!が誕生して今まで積み重ねてきたその時間の中に、僕と共有した時間がある。
Liella!の凄さやLiella!との思い出を誰かと共有できる。
Liella!の生のパフォーマンスを"知っている"。
Liella!の「みんなで叶える物語」の中に僕が居るってことは誇りに思えるし、何よりそれに安心している自分がいます。
まだまだ勢いが増していくばかりのLiella!。
きっと未来の僕は今よりもLiella!のことを好きになってるって思える、そんな予感がある。
きっとそれは僕とLiella!の時間が確かにあって、Liella!に対する「好き」って気持ちに間違いがないことが分かったからだと思っています。
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そんな僕ですが、この度
『ラブライブ!サンシャイン!! Aqours 6th Love Live! ~KU-RU-KU-RU Rock'n'Roll Tour~ 〈WINDY STAGE〉』
に現地参加することになりました。
僕も東京ドーム行くことになりました〜
— SUN (@SUN_Kotori0912) 2022年6月3日
Aqoursに会います。 pic.twitter.com/Rd7HZ5AAHe
実を言うと、僕は元々アニガサキ2期最終回をお台場でリアタイするそのためだけに関東に来る予定でした。
遠征費もチケット代もバカにならないし、費用は安く抑えたかったってのもあって行かないつもりでした。
それと、仮にもμ‘sからずっとラブライブ!シリーズが好きで追っている僕にとってAqoursと過ごした時間が無いってことに後ろめたさみたいなものも感じていました*6。
Aqoursから、ラブライブ!サンシャイン!!から人生レベルで受け取ったものがある人達も周りにはたくさんいて、でも僕にはそれがないから熱量の差みたいなものも少し感じてました。
でも「Aqours 6th行こうよ」と行ってくれた人がいて。
多分その一言が無かったらチケット取ろうとはしてなかったと思います。
こうして文章にしてると気づいたんですが、僕は自分が思っている以上に"誰かと過ごす時間"が好きなのかもしれませんね。
そんなこんなで東京ドームに行くことになりました。
僕の初めてのAqours現地になります。
知ってるハズだけど知らない人達を見に行くような不思議な気持ち。
失った時間を取り戻しに行くような感覚です。
Aqoursとした約束は"僕は"ないけれど、僕が今回Aqoursに会えるのはAqoursと約束をしてきた人達がいたから。
そしてこの〈WINDY STAGE〉はAqoursと新しい約束をするための場所、らしい。
Aqoursにとっての「みんな」になるため。
そしてここでする約束*7が、これからの僕とAqoursを繋ぐものになればいいなと思っています。
*1:もちろん最近コンテンツに興味を持ってくれた新規層や、ライブには参加しないorできないけど曲は聴いたりアニメは見てるよって人も例外なくこの"みんな"に枠として受け入れてくれる度量の広さがラブライブ!の魅力であることは言うまでもないのだけど。言いたいのは、これはあくまで僕自身の意識の話ってこと。
*2:あと途中でスクフェスのデータが乗っ取られて消えてしまって、しばらくやらなくなった時期があったってのもあると思う。ちなみにその時のアプリ起動時に流れてた曲は「コワレヤスキ」。曲は好きなんだけど、聴くとどうしてもこの思い出が頭をよぎります。
*3:逆に言うと優木せつ菜は1番好きなだけでなくて「推し」にもなったんです。
*4:特に優木せつ菜ちゃんの
*5:もちろん、μ‘s→Aqours期と比べると、ラブライブ!ってコンテンツの方針も変化しているし、何より僕自身の環境も変化しているので一概には言えない部分もありますが。
*6:ラブライブ!フェスをライブビューイングで参加したり、カウントダウンライブを配信参加したのは事実だけど、あくまで僕の意識としてAqoursと作った時間ってないなって感覚です。
何故南ことりは争いの場に立たないのか
皆さんお久しぶりです、SUNです。
先日とあるラブライブ!サンシャイン!!に本気な友人オタクから「サンシャイン!!見ませんか?」とお誘いを受けました。
一応自分は"ラブライブ!シリーズ"のオタクとしてやらせてもらっているんですが、サンシャイン!!はTVアニメの記憶がほぼリアタイ時の視聴で止まっていまして……。
再び見ることであの時はわからなかったことや気づかなかったことを知れるかもしれない、無印や虹ヶ咲、スーパースター!!を見るときにまた新しいものさしを用意できるかもしれないとは常々思っていたこともあり、いい機会でもありました。
という訳で2人で「ラブライブ!サンシャイン!!」の視聴会をしてきました。
(諸事情で1期のみになってしまいましたが)
そこで彼は”人はぶつかり合うことで相互理解が成される”と説きました。
「(言い争いや喧嘩等による)人のぶつかりあい*1」はラブライブ!シリーズの物語に置いてずっと扱われ、これに限らずとも小説やドラマ、アニメで(例えば特撮やバトル漫画、スポーツ漫画等において)人がお互いをより理解するための手段として長く使われています。
もちろん僕も長くオタクをやっているのでこの概念に触れていない訳がなく、彼の言葉そのものはすんなり納得はしました……が、彼が言うにはそれは南ことりでも同じだと。
仮に人が自分の譲れないものを傷つけられた時、例外なく(少なくとも彼のそれまでの人生においては)反発すると。
僕にはそれがどうにもしっくりこなかった。
例え自身の芯となるものを傷つけられたとしても、南ことりが争いの場に立つことがまるで想像できなかったのです。
だからこの時僕はこう言いました、
「争うのは南ことりのやることではないし、仮にそうなったら戦うのは南ことりじゃない。仮に南ことりの大切なものが傷つけられたとしても、彼女には支えてくれる人が居る。」と。
私は皆が決めた事、やりたい事にずっとついていきたい。道に迷いそうになる事もあるけれど、それが無駄になるとは私は思わない。皆が集まってそれぞれの役割を精一杯やりきれば、素敵な未来が待ってるんじゃないかな。
TVアニメ「ラブライブ!」2期 6話より
だけどこの時「南ことりが何故争いの場に立つことなく、かつ相手を尊重し合える優しさを持てるのか?」を上手く言語化できなかったのが少し悔しくて。
あれからまた少し考えてみて、自分なりに納得のいく結論が得られたのでここに報告したいと思います。
という訳で本題です。
結論から言うと「南ことりは争わずとも人が相互理解を成す術を知っていて、かつ争いによって得られる相互理解を自身が争うことなく理解に至った」からです。
皆さんご存知の通り、ことりちゃんには高坂穂乃果と園田海未という幼馴染がいます。
この二人は性格が真逆で、幼い頃から些細なことで喧嘩してきたことが様々な媒体で語られてきたことは周知の事実であると思いますが、ことりちゃんはこの二人の喧嘩を都度目撃し、そして収めていくことで二人の関係値向上に貢献してきました。
ことりちゃんは人の意図を汲むことに非常に長けた人間でありますが、その能力の成熟には争いに対して"中立"で居続けたという経験が影響していることは想像に難くありません。
つまり今現在の南ことりの価値観と哲学は"自身が争いの場に立つことなく、争いによって何が産まれるかを知ることができた"という経験によって成り立っていると言えます。
同時に彼女は人とぶつかることが相互理解に一番最適"ではない"ことを知っていました。
では相互理解に必要なことは何か。
彼女の言葉を借りるなら、それは「相手が生きてる」ことを知る事。
ことりちゃんに限らず、「生きる」ってシリーズを通して歌い続けられてる大切なテーマだったりしますよね。
生きるって 笑うことかな
(『Super LOVE=Super LIVE!』 μ‘s より )
I live, I live love live! days!!
(『未来の僕らは知ってるよ』 Aqours より)
生きてる!ってココロが叫んじゃう
そんな実感欲しいよねっ
(『TOKIMEKI Runners』 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 より)
輝きと生きてる 今生きてる
僕たちのユメとキセキ
(『LIVE with a smile!』 Aqours、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会、Liella! より)
そもそも、人が互いをぶつけ合う時って何かしらの欲求が行動原理としてあると思います。
美味しいものが食べたい、行きたい場所がある、あの人と会いたい、もっといっぱい誉めて欲しい、もっと自分を認めて欲しい、あれもこれも欲しい……。
ぶつかり合いが相互理解の手段になり得るのって、それがこういった欲求をぶつけて自分が何がしたいのか、どうしてそういう生き方をしてるのかっていうのを互いに確かめ合う行為だからだと思うんです。
でも、相互理解が「生きてること」を理解するための行為なら、必ずしもぶつかることが最適解じゃなくて、もっと人が傷つかない優しい方法があるっていうのがことりちゃんの主張。
この結論は南ことりという人間の立ち位置と経験に起因するものだと思います。
だから僕は南ことりが争いの場に立つ姿がしっくりこなかったのです。
自分の手を汚さないという点で見れば凄くズルいけれど、そういう人との関わりかたをしてきたからこそ"相手の意図を汲み、それが指し示す未来をしっかりみて支えられる"という彼女の最大の強みと優しさが育まれたのだと思います。
だから今は自信を持って言えます。
"ぶつかり合いで得られる相互理解"を理解した上で、ぶつかり合い以上に相互理解を行える術を知っているから南ことりは争いの場には立たないと。
”南ことりが争いの場に立つ”という仮定が成り立たないのだと。
南ことりはズルくて、優しくて、そして強い。
どこまでもこうありたいと尊敬できる人で、そしてそのためには僕にはないものが沢山あって。
やはりこの子には敵わないなと感じた今日でした。
ヨキニハカラエミナノシュー
*1:優木せつ菜みたいな言い方をすれば「『大好き』の傷つけあい」
南ことりの「色」に関する解釈
皆さんお久しぶりです。
そうでない方ははじめまして!
SUNと申します。
先日μ‘sと神田明神さんとの新規コラボ版権イラストが公開されたことが記憶に新しいと思います。
ペルソナといい今回のコラボといい、令和になってもμ‘sが色々とコラボしたり新しい版権イラストが見られることが嬉しくてたまりませんね!
今回はこのイラストを見て、これまでなんとなくそうじゃないかな~って思っていたことが確信に変わった……とまでは言いませんがかなり大きなヒントをもらえたような気がしたので、タイトルにもありますが「色」に関するお話をしていこうと思います。
是非お付き合いくださいませ。
イメージカラーという概念
ラブライブ!のようなアイドルコンテンツを含め様々なモノには「イメージカラー」というものが宛がわれています。
それはキャラクターだったり、概念であったり。
私達は対象に色を当てはめることで、なんとなくそれがどういうものかを分類しようとします。
例えば赤だと熱い、炎、太陽という明るいイメージ
黒だと闇、夜、暗い、影だとか暗いイメージを連想します。
こうして色から性格や情景をなんとな~く想像できたりしますよね。
ラブライブ!というコンテンツで言うならコンテンツそのものだったり、あるいはプロジェクト上最初のスクールアイドルであるμ‘sのイメージカラーはピンクが使われています。
もちろん個々のキャラクターにもイメージ(メンバー)カラーとして色が宛がわれています。
ここでμ‘sのメンバーのイメージカラー*1をおさらいしてみましょう。
穂乃果:オレンジ
絵里:水色
ことり:白
海未:青
凛:黄色
真姫:赤
希:バイオレット
花陽:グリーン
にこ:ピンク
先述したように私達は人やモノに色を宛がうことでなんとなくのイメージを対象に与えています。
穂乃果ちゃんなら太陽のように明るく、元気なイメージ。
絵里ちゃんならクールで冷静で一歩引いた立場のイメージでしょうか。
こうしたイメージカラーという概念は気にしていないだけで、生活の中にこれでもかという程溢れているものだったりします。
今回はこのイメージカラー及びそこから得られる結果を公式(あるいは一般的な)視点として扱っていきます。
南ことりが宛がった色
スクールアイドル達が活動するとき、各々色が振り分けられていたほうがメンバーもファンも助かる場面は多いはずです。
メンバー達の例を挙げれば、衣装作りでメンバーごとにアクセントをつける際に色があると便利です。
さて、ではここで実際にいくつか衣装を見ていただこうと思います。
上から
・Music S.T.A.R.T!!
・KiRa-KiRa Sensation!
・Angelic Angel
です。
これら3曲の衣装はメンバー一人一人違う色が宛がわれていますが、その内訳は
穂乃果:黄色orピンクor赤
絵里:水色
ことり:緑
海未:青
凛:黄緑or黄色
真姫:赤紫or紫
希:バイオレットor赤紫
花陽:オレンジ
にこ:ピンクor赤
と、先ほどおさらいした公式のイメージカラーとは異なるものが多いです。
特にことりと花陽は系統が丸々異なりますし、絵里と海未を除けば安定して常に同じ色の衣装を着ているメンバーはいません。
ことりちゃんは何故、衣装に公式の定めたイメージカラーと異なる色を宛がうことが多いのでしょうか……?
という訳で、公式(あるいは私達)が宛がったイメージカラー=一般視点の色に対してことりちゃんが各メンバーに宛がった色をことりちゃん視点の色として本題を喋っていこうと思います。
色に付与する情報
何度も述べましたが、私達は人やモノに対して色を通じて様々なイメージを与えます。
その与えるイメージに関して、公式(私達)とことりちゃんは少し違うものさしを持って解釈しているのではないかなと考えました。
私達が穂乃果ちゃんに対して「この子のイメージはオレンジだ!!」と考える時、ことりちゃんは「穂乃果ちゃんはピンクかなぁ」と考えているということです。*2
1つ例を挙げるなら花陽ちゃんがわかりやすいです。
公式が彼女に与えた色がグリーンになる訳ですが、ことりちゃんはオレンジを当てています。
グリーンと言えば、やすらぎ、草木、平和といった穏やかで優しいイメージを与える色で花陽ちゃんの性格にも非常にマッチした色だと思いますが、ことりちゃんはオレンジをチョイス。
オレンジは膨張色、温暖色で喜びや楽しさ、はつらつとしたエネルギーを感じさせ、陽気なイメージさえ与えます。
まるで正反対なイメージですが、どうしてこんなにも違う結果が得られるのか。
その答えの1つに私達がμ‘sであるかどうかがあると思います(私の大好きなμ‘sに、私はいない……)。
私達はスクールアイドルとしてはもちろん女子高生である彼女達の一部分を受け取っています。それは日常であったり、スクールアイドル活動中であったりと多岐に渡りますが、μ‘sメンバーそのものであることりちゃんは私達以上のものをメンバーから受け取ることができるハズです。
例えばこのシーンでは絢瀬絵里役となったことりちゃんは「ハラショー!」を(下手すれば本人以上に)連発していますが、劇中ではそう多くないだけで普段ことりちゃん視点絵里ちゃんは何かと「ハラショー!」を言う人間なのかもしれません。
そうした受け取る情報の違いが、公式とことりちゃんがメンバーに宛がう色の差に繋がるのではないかなと思いました。
実際に花陽ちゃんはお米やスクールアイドルに関しては熱いモノを持っているのは私達が知る通りで
ことりちゃんは普段の生活で花陽ちゃんと接する中で私達以上にそういったイメージを感じているのかもしれません。
同様に穂乃果ちゃんからはオレンジ以上にピンクや黄色の要素を、真姫ちゃんからは赤以上に紫系統の要素を感じているのかなと思います。
ラブライブ!大会決勝で披露するKiRa-KiRa Sensation!という勝負曲の衣装に宛がう色という観点から考えても、ことりちゃんが自分の解釈にかなりの自信を持っていることが伺えます。
ことりちゃん自身の色と彼女の頑固さの表れ
ここまで私達とことりちゃんそれぞれから見たメンバーのお話をしてきましたが、ここからはことりちゃん自身の話をしていこうと思います。
先ほどまでの考え方を適用すると公式はことりちゃんを白のイメージに、ことりちゃんは自分に対して緑のイメージを持っていることになります。
白の持つイメージは清潔や純粋、真面目といった所でしょうか。
緑は先ほど述べた通り穏やかなイメージ。
なんとなくシンパシーは感じるけれど、似ているとも言い辛い微妙なラインですね。
さてそんな緑色ですが、ことりちゃんは緑を自分に使うことにかなり拘っているように思います。
先ほど挙げた例でも全てことりちゃんの衣装は緑だったというのもそうなんですが……
こちらはA song for You! You? You!!のMV中のシーンになります。
この曲の衣装のポイントとしてはやはりそれぞれのイメージカラーを綺麗なグラデーションであしらっている所だと思うんですが……
約1名自分のイメージカラーじゃない色を使っている人がいますね。*3
そしてそして、記事冒頭でお話した神田明神コラボの着物をもう一度ご覧下さい。
各々イメージカラーと同系統の色の着物を着ている中で、約1名イメージカラーとは全く系統の違う色の着物を着ている人がいます。
こうした公式がイメージカラーで統一しようとしている流れで1人だけ自分を貫いてるのが南ことりという人間の凄く面白い所*4
ことりちゃんと言えばおっとりした性格な一方物怖じしない芯の強い人間であることが知られています。*5
私は皆が決めた事、やりたい事にずっとついていきたい。道に迷いそうになる事もあるけれど、それが無駄になるとは私は思わない。皆が集まってそれぞれの役割を精一杯やりきれば、素敵な未来が待ってるんじゃないかな。
TVアニメ「ラブライブ!」2期 6話より
なんというかこの子、自分は自分、他人は他人みたいな意識が根付いてるなと思うんですよね。
周りがどんな流れであれ「いや、私はこうだから!!私はこれでいく!!」と言わんばかりの圧を感じるのが凄く可愛らしくて、それでいてことりちゃんらしい魅力だなぁと。
ちょっとA song for You! You? You!!衣装についての妄想をするんですけど
この曲の衣装って絵里ちゃんがデザインした後μ‘sの皆に穂乃果ちゃんの分をサンプルとして送ったという経緯がありますよね。
穂乃果ちゃんの衣装にオレンジが使われている所を見るに絵里ちゃんはおそらく公式寄りの視点で穂乃果ちゃんのことを見ていると思うんです。
ことりちゃんは人の思考や意図を汲み取る力に長けているので(この話はまた別の機会に……)、そこから絵里ちゃんが何故穂乃果ちゃんの衣装にオレンジを宛がったのか理解した上で他のメンバーの衣装作成に取り掛かったんだろうと予想しています。
ただ、幸いにもことりちゃん自身が衣装担当だったこともあり、自分の衣装にだけは自分の解釈上で好き勝手したんじゃないかなぁと思う訳です。
まとめ
という訳で私達とことりちゃんそれぞれの視点で「色」という概念を見てきました。
かなり妄想多めの内容でしたが如何だったでしょうか……?(これもまた僕なりの解釈ということで)
衣装には衣装担当の意図や想いが込められていると思います。とりわけ「色」というのはわかりやすい要素。
ことりちゃんはもちろん、曜ちゃんやルビィちゃん、虹ヶ咲の皆、可可ちゃんがどうして衣装にその色を宛がったのか、その色に拘る理由は?みたいなことを考えるのも楽しいかもしれません。
それでは今回はこの辺で筆を置かせてもらおうかなと思います。
ヨキニハカラエミナノシュー
「葛藤」というキーワードで見る優木せつ菜
皆さんこんにちは、SUNです。
このブログがあがっているだろう8月8日は優木せつ菜ちゃんのお誕生日ですね!
お誕生日おめでとうございます!!
今回はそんなせつ菜ちゃんを「葛藤」というキーワードで見ていきたいなと思いました。
せつ菜ちゃんの曲に込められたテーマとそれらがそれぞれどんな視点で描かれているのか僕なりに解釈して言葉にしてみました。
是非お付き合い頂けると嬉しいです。
考察の経緯
まずは何故僕がせつ菜ちゃんの曲についてあらためて向き合おうと思ったかについてお話しようと思います。
皆さんは今年4月末頃に発売された「Love Live!Days 虹ヶ咲SPECIAL 2021 Spring」はご覧になられたでしょうか?
5月に行われた3rdライブ直前に発売されたのもあり、それに関連した内容や昨年9月の2ndライブ後インタビューや今年3月に行われた校内シャッフルフェスティバルのアフタートーク等盛りだくさんの内容でした。
恥ずかしながら僕はつい先日この書籍に手をつけまして……。*1
その中に「Discography Single CD Cast Comment」と題してアニガサキ挿入歌9曲をそれぞれのキャストさんのコメントで振り返るコーナーがあります。*2
その「DIVE!」の楠木ともりさんのコメントにこういうものがありました。
『CHASE!』はせつ菜の葛藤の曲なので、必死さが出ても成り立つし、むしろそのほうがいいのですが『DIVE!』は葛藤の先の曲。
(Love Live!Days 虹ヶ咲SPECIAL 2021 Spring P67 楠木ともりより)
最初このコメントを見た時、実は腑に落ちた感覚があまりなくて。
多分今まで僕はCHASE!を「応援歌」のようなイメージで受け取っていて「葛藤」という目線ではあまり見ていなかったんじゃないかなということに気づきました。*3
この世界で最も優木せつ菜という人物に向き合っている人間である楠木ともりさんの言葉でもあるし、せっかくだし一度「葛藤」を軸にCHASE!を聴いてみることで何か自分の中で新しい発見があるかもしれないと思ったんですね。
そして聴いた中で、CHASE!だけに収まらない「葛藤」というテーマ、そしてせつ菜と菜々のそれぞれの「視点」で見ることで優木せつ菜の楽曲それぞれの立ち位置がはっきり見えたように感じたため、今こうして文章に起こしてみようと思いました。
CHASE!の持つ「葛藤」
CHASE!の歌詞を見ながら話していきます。
大事な気持ち
まるで裏切るように過ごした
昨日にはもうバイバイして
繰り返した リスクと後悔
言い訳ばかり探して決めつけた
振り回すのはやめて
一番Aメロの歌詞です。
「応援歌」の視点でみれば、夢はあるけどそれまでに経験した挫折や周りの目に怯え、それを言い訳に自分のやりたいことから逃げている人に向けた詞と考えられます。
一方せつ菜と菜々の「視点」を持って「葛藤」をテーマに聴くと言葉の意味が少し変化するように感じられます。
自分の「大好き」を精一杯叫べない状況で、その現実に流されやりたいことに背いてきた菜々ちゃん。
スクールアイドルを始めるにあたり、親にバレるかもしれない不安、自分の「大好き」を叫びたい気持ちとそれがしっかり伝わらないかもしれない不安。
きっとそんな気持ちがぶつかりあって、彼女の最初の一歩は重かったかもしれない。
そんな自分の気持ちに振り回される菜々ちゃんの「葛藤」が感じられます。
次に2番Aメロです。
はんぱな気持ちで
挑みたくはないから
ステージには一つも悔いは残さない
比べてみた 理想とリアル
まだ届かないけど感じるから
道の先のゴールを
こちらはステージでパフォーマンスするせつ菜ちゃんとしての言葉に感じられます。
「優木せつ菜」という存在は菜々ちゃんがスクールアイドルをするために必要なパーツの1つであると同時に菜々ちゃんのやりたいことや理想そのものだと思います。
自分はこうしたいという理想のパフォーマンスと、実際の自分のレベルとの差に悩まされてきた日々があったのではないかなと想像できますし、その日々が今のスクールアイドル「優木せつ菜」を作り上げてきたと思うと心に訴えてくる感情があります。
このように「葛藤」というテーマで見ていくとせつ菜と菜々の「視点」に立って歌詞を感じられると思うんです。
ここからはサビの歌詞について触れますが、その際に優木せつ菜と中川菜々という人間を一度切り離して考えてもらいたいなと思います。
走り出した!思いは強くするよ
悩んだら君の手を握ろう
なりたい自分を我慢しないでいいよ
夢はいつか ほら輝きだすんだ!
弾みだした!思いは嘘じゃ無いよ
涙から生まれる希望も
目には見えない力で繋がる
夢はいつか ほら輝きだすんだ!
このサビの言葉を【菜々の理想像・憧れである優木せつ菜】から【中川菜々】への言葉ととらえることができると思います。
握る手、なりたい自分、思い……。
それら全て菜々ちゃん自身、菜々ちゃんが持つ要素で、自分の理想像に直接語り掛けてもらうことで変わりたいという一種の自己暗示のような曲だなと感じられました。*4*5
「葛藤」の先にある2つの曲
CHASE!が「葛藤」の曲でもあると感じてもらえたところで、せつ菜ちゃんは未だ葛藤の中でもがき苦しむほど前に進めない人間ではないことは彼女の性格やストーリーを見ていけば分かることと思います。
彼女がさらに一歩進んで生まれた楽曲、それが「MELODY」と「DIVE!」です。
楠木ともりさんの言う葛藤の先の曲という観点を用いれば、この二つは既に葛藤を乗り越えたあるいは葛藤を乗り越えるための曲と解釈できるでしょう。
順番に見ていきましょう。
MELODY
(MELODYの視聴は動画の11:19~)
MELODYはせつ菜ちゃんのキズナエピソードに準拠した内容になっています。
簡単に説明すると、生徒会長ではなくなり、優木せつ菜ではいられなくなる危機に瀕した菜々ちゃんが両親とまっすぐ向き合い、自分の「大好き」を受け入れてもらえるようになる物語です。
誰よりも味方でいてほしいあなたへ
心の奥まで届きますように
今日も信じて歌うよ!
道は不確かだけど
好きだからできる
私らしく輝いていける気がして
「大好き」を叫べる世界を作るといいながらも自分が大好きを叫べない相手がいる矛盾を取り払い、私らしく=菜々の理想のまま(優木せつ菜)輝けるようになりました。
未来(さき)のこと
誰にだって未知な世界なんだ
不安いっぱい でも大事だよ
本当の気持ちだから
それまでは「葛藤」を生み出す要因になっていた不安という要素を「大事」なものだと考えられるようになっています。
また、CHASE!ではせつ菜と菜々を一度切り離して考えてもらいましたが、MELODYをもってその必要はなくなったと考えています。
走り抜けた想いが
心を染めてまっかっか
涙 飛んでった
サビの歌詞ですが、この心がまっかっかに染まるという歌詞。
これは中川菜々の中で切り離しが起きていた優木せつ菜という存在の純度が100%になったというような解釈をしています。
これについては以前少しお話しているので是非そちらもお読みいただければと思います。
心がまっかっか(せつ菜色)に染まる=菜々とせつ菜が完全に同一と呼べる存在になる。*6
これをもって菜々ちゃんが抱える「葛藤」は解消されたのではないかなと考えました。
その裏付けになるかはわかりませんが、MELODYの次にリリースされた曲「LIKE IT! LOVE IT!」ではキズナエピソード及び歌詞を通してせつ菜ちゃん=菜々ちゃんの望む果てしない野望と「大好き」に対する価値観が伺える内容で、「葛藤」に焦点を当てづらいものだと感じています。
これも菜々とせつ菜が完全に同一と呼べる存在になり、二人の意思や願いが重なっているからなのだと思いました。*7
DIVE!
TVアニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」3話挿入歌として登場した曲です。
3話を簡単に説明するなら、自分の「大好き」でメンバーの「大好き」を傷つけてしまい、もう誰も傷つけまいと自分の「大好き」を秘めてしまいますが、自分に対する純粋な「大好き」という感情で許され救われる……そんな感じでしょうか。
1話ではCHASE!も披露されており、このときはせつ菜ちゃんがもう誰も傷つけないため、少しでも残りのメンバーの活動に勢いがつくように行ったケジメのライブでした。
3話を通して、自分に向けられる期待に応えたい気持ちと自分の「大好き」を貫きたい気持ちに対して誰かの「大好き」を傷つけてしまいかねない気持ちの「葛藤」がテーマだと感じています。
DIVE!は自分に対する純粋な「大好き」に救われ、この「葛藤」を乗り越えた先の曲。というのが楠木ともりさんの言いたかったことではないでしょうか。
自信なくして ただ
心に鍵かけて
響く自分の声に
耳塞いでた
ホントはいつだって
わかっていたんだよ
一番大切なもの
ここにあること
目を閉じて
言い聞かせてみたって
カラダ中騒いでる
止まらない Heart
強く熱く…!!
歌詞を見ていくと自分の大好きを秘めて塞いでも、心の中にある感情に嘘はつけないし何が大切なのかはわかっていたことが伝わります。
心を秘めた中でそんな「葛藤」に苛まれていた、その経験があって生まれた曲が「DIVE!」なのだと、そう思います。
MELODYと形は違えど同様に葛藤を乗り越えて、菜々とせつ菜の境にある壁を取っ払う=菜々とせつ菜が区別のない存在になる。
真の意味で優木せつ菜が完成したからこそ「これがはじまりの歌」なのだと思います。
スクスタ時空とアニガサキ時空での分岐について
「葛藤」をテーマにせつ菜ちゃんの楽曲を見てきてMELODYとDIVE!それぞれの話に終着しましたが、ここまで見てきてスクスタキズナエピソード挿入歌とアニメ挿入歌で何か共通項があると感じている人もいるのではないでしょうか。
そうです。
スクスタでもアニガサキでも、CHASE!に始まり「葛藤」を乗り越える曲で区切りをつけるという共通点があります。
また個人的には優木せつ菜という人物の性格について菜々とせつ菜で分けた時、菜々寄りなのがアニガサキ時空、せつ菜寄りなのがスクスタ時空だと感じています。*8
そして曲で見ると菜々よりもせつ菜の要素が強いのがDIVE!、せつ菜よりも菜々の要素が強いのがMELODYと感じています。*9
・菜々寄りのアニガサキではせつ菜要素が強いDIVE!
・せつ菜寄りのスクスタでは菜々要素が強いMELODY
と見事に正反対、対比になっているように感じますね。
順番としては性格→曲なのでそれぞれの性格を土台に考えたとき、
「葛藤」を乗り越えるにはもう片方の性格と折り合いをつける
→結果としてもう片方の性質の強い曲になる
ということなのかなと思います。ということで
・主が菜々ならせつ菜と向き合い、せつ菜の要素が強くなる
・主がせつ菜なら菜々と向き合い、菜々の要素が強くなる
という関係が成り立ちそうです。
アニガサキとスクスタで似たテーマでもまったく正反対のアプローチになっているんだなと思うとちょっと面白いですよね。
あとがき
という訳で「葛藤」というキーワードをテーマにせつ菜ちゃんの楽曲について考えていきました。
せつ菜と菜々でそれぞれの視点を持って考えるのも楽しいし、共通項やアプローチの違いに気づけたりと自分にとっても有意義な考察になったと思います。
最後に
優木せつ菜ちゃんと中川菜々ちゃんへ
お誕生日おめでとう。
あなたの「大好き」を貫く姿勢が今の僕の価値観に大きな影響を与えていることは間違いなく、そんなあなたが「自分の好きを他人に押し付ける世界じゃなくて、みんなの『大好き』を、誰も否定しない世界」を作りたいといってくれたことがただただ嬉しかったです。
「否定」されない世界、誰しもがそこに存在することを認められる優しい世界。
そんな世界が実現するといいなと心から祈っています。
これからもあなたの野望が叶うよう、微力ながらお手伝いさせてください。
これからもずっと応援しています。
SUNより
*1:読もう読もうと思って積んでしまう本ってありますよね。それです。
*2:12話挿入歌『Awakening Promise』、13話挿入歌『夢がここからはじまるよ』については言及なし。
*3:要素としてはあるなぁくらいでじっくりそこに向き合って聴いていなかったんだと思います。
*4:表現者であるせつ菜の力を借りて非表現者である菜々の気持ちを代弁している。
*5:CHASE!が応援歌としても成り立つのは、この菜々ちゃんが持つ要素が誰しも普遍的に持ちうる要素だからというのもあると思います。
*6:つまり表現者であるせつ菜と非表現者である菜々にメンタル的な差がなくなった。
*7:これに関してはサンプルが1曲だけなので100%の自信がある訳ではないです。今後せつ菜ちゃんが新しい悩みとぶつかり不安や葛藤を生じる可能性も否定はできません。とにかく4thアルバム楽曲の視聴動画が早く欲しいものです。
*8:アニガサキでは4話でメガネを無断使用したかすみに注意をしたことがかすみのセリフから考察できます。同好会活動中のことなのでおそらくせつ菜として。10話でもせつ菜として1,3年生に注意する姿が見られます。誰を叱る姿というのはせつ菜よりも菜々としてのイメージが強く感じます。逆にスクスタではせつ菜であるときはとことんせつ菜であるし、菜々の姿であるときも場合によってはせつ菜の面が大きく出ることも多いです。
*9:細かいニュアンスですが、DIVE!は菜々に眠るせつ菜を呼び覚まして歌う曲。MELODYは優木せつ菜のパフォーマンスの場を借りて菜々が想いを語る曲、といった具合。
優木せつ菜の魅力の5割は中川菜々にある
どうも皆さん、SUNです。
早速ですけど
皆さんはせつ菜ちゃんの魅力ってなんだと思いますか?
・⁄/イ`^ᗜ^リ ペカーという擬音が聞こえてきそうな眩しい笑顔
・バグレベルに整った容姿と抜群のスタイル
・「大好き」を精一杯叫ぶオタクとしての一面
・CV.楠木ともりさんによる圧倒的歌唱力 etc……
オタク一人一人挙げるものは違うと思いますが、
僕は優木せつ菜が中川菜々であることそのものが彼女の大きな魅力だと思っています!!
と、いう訳で僕から1つ提唱させてください。
「優木せつ菜の魅力の5割は中川菜々」
せつ菜と菜々の2つの姿があることで
・たくさんのギャップが生まれる
・彼女の魅力が何倍にも増していく
と思っています。
では具体的にどんな魅力があるのか考えていきたいと思います。
よろしければお付き合いくださいませ。
正体を隠しているからこその面白味
せつ菜ちゃんが普段中川菜々として日常生活を送っていることは皆さん知ってる通りだと思います。
同好会メンバー以外には優木せつ菜=中川菜々という関係は秘密にされていますが、虹ヶ咲学園という学校は生徒数1学年1000人以上のマンモス校。*1
果たして単純計算で3000人以上の生徒に対して誰にもバレずにいられるのかというのが気になるんですよね。
仮に何かの拍子で何人かにはバレてたり、「もしかしてせつ菜ちゃんって中川さんなのでは……?」というような考察をされていたりすると面白いなぁと思うんです。
せつ菜ちゃんがもし正体がバレそうな状況に遭遇したら……
どんな姿を見せてくれるのか考えてみましょう。
優木せつ菜の姿の時
せつ菜として行動している時に正体がバレそうな時、頑張って誤魔化そうとして慌てる姿なんかは想像しやすいですよね。
アニガサキ9話冒頭では着替え中に見つかって眼鏡をかけたまま逃げ出した様子を見ることができますが、すぐ眼鏡外せば大丈夫だろって思いました。
そんな感じで誤魔化そうとするあまりちょっと爪が甘いところ出ちゃうのが可愛いなって思います。*2
中川菜々の姿の時
せつ菜ちゃんの時に対して、菜々として行動するときにバレそうならどうでしょうか。
自分がせつ菜であることを隠さなければならない以上、【菜々であることを隠さなければならないせつ菜】以上にボロが出せない状況なのではないかなと思います。
周囲からの『中川菜々』のイメージもあると思うので、そのイメージを守りつつ頑張って誤魔化す姿を想像すると愛おしくてたまらないですね~!!
あと、アニガサキでの副会長とのやりとりも良いですよね。
副会長はせつ菜ちゃんにとって自分に対する明確な好意をぶつけてくる相手で、生徒会での活動中なら自分はせつ菜ではなく菜々として対応しなくてはならない訳で。
純粋な自分に対する好意にどう対応するのか。そんなことを考えるとご飯5杯くらいはいけそうです!!
そんなこんなでせつ菜ちゃんのテレ顔なんかがみれたら……。
普段真面目な中川菜々としても、元気でパワフルな優木せつ菜としても照れた姿というのはギャップとして強すぎてもうありえんくらいヤバいっすね!!(語彙力)
という訳で正体を隠してるから生まれる面白味や魅力があるよというお話でした。
せつ菜のイメージとのギャップ
スクールアイドルって皆花の女子高生ですしお化粧することもあると思うんです。
アイドルとしてパフォーマンスする以上皆程度はあれ意識している所あると思うんです。*3
きっとそれはせつ菜ちゃん(or菜々ちゃん)も例外ではないと思うんですが……
こんな男子中学生みたいな私服姿を見ると(ほんとか……?)と疑いたくなる気持ちもあります。
一方でスクスタのナビボイスにこんなものがあります。
パフォーマンスするときに塗るものか、それとも普段使いするものなのかは分かりませんがせつ菜ちゃんだってリップを気にする一面もあるんだってことに衝撃を覚えてしまいました……。
(何気失礼なこと言ってる希ガス)
という訳で菜々ちゃんが初めて女の子らしいオシャレに挑戦してみた時の妄想をやっていこうと思います。*4
アプローチ方法
まずは菜々ちゃんがオシャレに対してどんなアプローチをしたのか考えていきたいと思います。
オシャレな雑誌を読んだり詳しそうな友達に聞いたりだとかありそうですが、きっとそれまでアニメやゲームに趣味の時間を費やしてきたであろう菜々ちゃんがその一歩を踏み出した時の心境を思うと察するに余りあるドキドキを感じます。
だってそうでしょう!!それまでアニメやゲームに夢中でオタクやってた女の子がオシャレするって決めるって一大決心ですよ(確信)!!
きっとこれまでにはなかった戸惑いや悩みを乗り越えてきたんでしょう……。
こうした過去があって今のせつ菜ちゃんがいることを思うと胸が熱くなりますね。
(ま、全部妄想なんだけどな)
服装に関するこだわりの話
先ほどせつ菜ちゃんの私服に対して男子中学生みたいと言った僕ですが、一方スクスタではこんなせつ菜ちゃんが見られます。
え、めっちゃ可愛い私服持ってんじゃんかよっ!!!!!!!
えなんでこの子いつもこんな服着ないのなんでいつも着ればいいのに……
なんでか。それを探る為、ヒントを見つける為、僕はアマゾンの奥地へ出かけました。
険しい険しい旅でした。
ある日は夕飯の鍋にチーズケーキと乾麺が入っていたり、朝起きると頭の後ろは断崖絶壁だったり……
装備(リストバンド)が現地の野生動物に奪われるという災難にも見舞われました。
そうして続いた旅の中で、ある時僕の頭に天啓が舞い降りたのです!!
実はせつ菜ちゃん、
可愛い服着るのちょっと恥ずかしいとか思ってたら……?
これに気づいたとき、僕は体中に稲妻が通ったかのような衝撃に見舞われました。
雷の呼吸でも喰らったのかもしれない。
でも僕はここで倒れる訳にはいかなかった。
せつ菜ちゃんは何故いつもオシャレのかけらもない私服なのか、その一方で何故めちゃんこ可愛い私服があるのか。
その全てを解決する仮説を、僕は世に残さなければいけなかった。
可愛い服を着るのに気恥ずかしさというか抵抗があるせつ菜ちゃんを想像して欲しい。
そして、スクスタのイベントやキズナエピソードでそんな可愛い私服を解禁することを決心したせつ菜ちゃんを想像して欲しい。
「大切な『あなた』やスクールアイドルの仲間に、可愛い自分をみて欲しい……。」
そんな想いが彼女の中にあったら……。
ここまで考えたところで、僕の意識は遠のいていた。
という訳で、普段のイメージに「女の子らしさ」が見えないからこそ、たまに「女の子らしい」要素が見え隠れするとありえんくらいの「萌え」を感じるというお話でした。
菜々としてみるせつ菜、せつ菜としてみる菜々
ここからは中川菜々の行動を優木せつ菜として、あるいは優木せつ菜の行動を中川菜々として見てきましょう。
簡単に言うと
・菜々をせつ菜として→クールな人を熱く見る
・せつ菜を菜々として→熱い人をクールに見る
それぞれ一方の言動をもう片方の言動として考えるとどんな見方ができるのでしょうか。
せつ菜として考える菜々の言動
まずは普段クールな菜々の行動をせつ菜の行動として見ていきましょう。
部室がワンダーフォーゲル部のものとなってしまい愕然とするかすみちゃんに対する菜々ちゃんのシーンです。
菜々の行動としては特に違和感のないシーンではありますが、彼女が「優木せつ菜」であることを意識してみると物凄いギャップを感じるシーンでもあります。
というのもせつ菜ちゃんが誰かを叱ったり責めたりするシチュエーションというのはなかなか思い立たないもので、これは我々がせつ菜ちゃんに抱いているイメージと菜々ちゃんの実際の行動やイメージが離れているからこそ生まれるギャップだと思います。
もう1つご覧ください。
可愛いね……。
……ではなくて、菜々ちゃんがお母さんと会話するシーンです。
ここは菜々ちゃんのセリフを思い返して注目して欲しいんですが、菜々ちゃんは親に対しては敬語が外れているんですよね。
基本的にせつ菜ちゃんは誰に対しても敬語で話します。
考えてみれば親に対して敬語を使わないことは不思議なことではありませんが、ここのシーンも菜々ちゃんがせつ菜ちゃんでもあることに注目すると敬語を使わない優木せつ菜概念という新しい境地を感じることができます。
敬語を使わない優木せつ菜概念はスクスタでも見られます。
キャラクターの育成画面でキャラクターをタップするとセリフを喋ってくれますが、このときせつ菜ちゃんはなんと敬語が外れているんですね……。
なんだか急に距離感がバグったみたいに感じられてドキドキが収まりません……これが…恋か……。
菜々として考えるせつ菜の言動
次は普段熱いせつ菜の言動を菜々のものとして見てみましょう。
まずはこれ!
同じアニメオタクである同士=璃奈ちゃんと出会い興奮が抑えきれない様子。
せつ菜ちゃんのオタクとしての一面をよく知る我々にとっては違和感のないシーンですが、これを菜々ちゃんのシーンとして見ると途端に印象が変わってきます。
普段冷静な菜々ちゃんならまず見られないだろう行動をせつ菜ちゃんがすることで、何気ない日常のシーンでもギャップが感じられますね。
こちらは「DIVE!」のライブシーン。
満面の笑みはもちろんですが、「スクールアイドル」というイメージも菜々ちゃんからは感じられない要素でもあります。
「優木せつ菜」の誕生の経緯*5を考えれば納得ではありますが、それでも菜々ちゃんのイメージからは離れているように思います。
だからこそ、中川菜々がスクールアイドルをしているという事実そのものが1つのギャップになるんですよね。
まとめ
という訳でせつ菜と菜々の2つの姿があるから生まれる魅力について喋っていきました。
2つの名前、2つの姿、異なるイメージ。
それらが常について回ることで、
・言動全てがギャップ萌えの要素を持つ
・1人で2度おいしい!!
・2人分の要素が混じることで、色々な見方で楽しめる
ということが伝わっていれば嬉しいです。
「優木せつ菜の魅力の5割は中川菜々にある」
これは優木せつ菜の魅力について語る時、少なくともその半分は中川菜々としての要素にも触れられる余地があると感じた僕の持論になります。
皆さんもスクスタのストーリーを見たり、アニガサキを見るときは是非せつ菜ちゃんと菜々ちゃんそれぞれの視点に立って楽しんでみてください。
きっと今まで感じたことのない感動や発見があると思います。
そうして中川菜々ちゃんの魅力がたくさんの人に伝わると嬉しいです!!
それでは今回はこの辺で筆を置かせていただきます。
ヨキニハカラエミナノシュー
*1:スクスタメインストーリー14章より
*2:ただの妄想ですが、せつ菜ちゃんが何かの拍子に菜々ちゃんの学生証を落としてしまって、「え……なんでせつ菜ちゃんが中川さんの学生証を持ってるんですか……?」って展開とか見たいですね。
*3:ラブライブ!サンシャイン!!1期13話では1年生がお化粧しているシーンが描かれたりもしていましたね。
*4:せつ菜ちゃんにとっての初めてのオシャレは即ち菜々ちゃんにとっての初めてのオシャレと同義。ここは菜々ちゃんメインで語っていくべきでしょう。
*5:親からアニメやゲームはもちろん、スクールアイドル活動も禁止されている菜々ちゃんがスクールアイドルとして活動するために、『優木せつ菜』という芸名を使い容姿も変えている。
「ラブライブ!」から受けとったこと/ラブライブ!11周年記念
こんにちは、SUNです。
今回は生春さん(@Time_mrsi)のこちらの企画に則った記事になります。
【タグ企画】
— 生春 (@Time_mrsi) 2021年6月11日
ラブライブ!誕生日の6/30夜に同じテーマで書いたコトバを同時投稿する企画をやりたいと思います!
それぞれ答えが違うからこそ不正解もないし面白いと思うので、興味ある方はよろしくお願いします!
【あなたがラブライブ!を追いかける上で大切にしているものを、3つ教えてください】 pic.twitter.com/aAFJNTLmPE
さて、僕がラブライブ!を追う上で大切にしていること。それは以下の3つになります。
『好き』 『やる意思』 『許容』
これらは僕が大切にしていることと同時に、「ラブライブ!」と愛する推しから教わったことでもあります。
好きという気持ち・やりたいという意思
『好き』と『やる意思』は僕がラブライブ!のストーリーを通して特にラブライブ!が大切にしていることだなと感じたことになります。
これを象徴しているのが、無印、サンシャイン、アニガサキで出たセリフ
「特に理由なんて必要ない。やりたいからやってみる。本当にやりたいことって、そんな感じに始まるんやない?」
「一番大切なのはできるかどうかじゃない。やりたいかどうかだよ!」
「やりたいと思った時から、きっともう始まってるんだと思う。」
だと思います。*1
僕がラブライブ!シリーズのストーリーに共通して感じた特徴が、好きなものややりたいことを肯定して、背中を押してくれることなんですが
この、人の「何かを好きでいることや何かをしたいという意思」を尊重し肯定してくれるのがラブライブ!のストーリーの根本にあると感じています。
この人の意思を否定せず肯定する優しさが本当に好きです。
例としてアニメ無印1期4話のまきりんぱなの加入シーンや8話の絵里の加入シーンに代表されるキャラクターの加入シーンはキャラクターの「やりたいという意思」が最大限に尊重されていますよね。*2
何かを始めたい時、何かを好きでいる時、それを否定されることって凄く辛いと思うんですよ。
仮に否定されなくても、「もしかしたら否定されるかも、失敗するかも……」と考えてしまって立ち止まってしまうこともそう珍しくないと思います。
そんなマイナスの感情をプラスに切り替えてくれる、失敗しても大丈夫だと背中を支えてくれるそんな優しさがラブライブ!のストーリーの大好きな所です。
今こうして僕がブログを書くようになったきっかけの1つも、他の方が書いてるブログを見て「面白そう、やってみたい」と思ったからで、この時希ちゃん達の言葉が背中を押してくれました。
この否定せず肯定する優しさというのは、次に紹介する「許容」という概念にも深く関わってきます。
許容
【否定せず肯定する優しさ】というのを一言で言うと「許容」という言葉になると僕は思っています。
許容:ある事をすること、ある状態にあることを、許して認めること
僕はこの概念を推しである南ことりちゃんと優木せつ菜ちゃんから強く感じていて、彼女達を推す理由の1つにもなっています。
彼女達に共通していることは「誰かの意思を否定せず、『良いと思うよ!』と肯定して、そしてそれを支えてくれる」ことにあると思っていて、まさに上記で挙げたラブライブ!の魅力そのものなんですよね。
特にラブライブ!(Love Live!)は日本語で直訳すれば「大好きに生きる!」になりますから、「大好き!を叫ぶ」とまで言う優木せつ菜ちゃんはまさにラブライブ!を体現した存在だなと思う訳です。*3
また、彼女らが歌う楽曲からもそれは伺えます。特に【CHASE!】や【LIKE IT! LOVE IT!】なんかは顕著ですよね。
足を踏み出す 最初はこわいかも
でも「進みたい」その心があれば!
なりたい自分を我慢しないでいいよ
夢はいつか ほら輝きだすんだ!
(CHASE!:優木せつ菜(CV.楠木ともり))
I love it! I love it!
無限大に広がる可能性を
私が証明してみせるから
I love it! I love it!
誰かが否定をしたとしても
私は絶対味方だから
(LIKE IT! LOVE IT!:優木せつ菜(CV.楠木ともり))
この「許容」という概念、物凄く柔軟で優しい概念なんですよね。
誰かがどんな夢を持っていても、何をしようとしても、何が好きでも、「良いと思うよ」の一言だけで相手を幸せにできるんです。
そんな「誰かの好きを否定しない世界」がいつか現実になるといいなと思っています。
これからの夢
さて、「夢」というほど大げさなものではありませんが、僕はラブライブ!を通して「もっともっと自分の大好きを他人に伝えたい」と思っています。
せつ菜ちゃんが掲げる「大好きでいっぱいの世界」を作ることに貢献したいという気持ちはもちろん、僕自身好きなものの話をもっとしたいんですよね。
具体的にはμ‘sの話とか推しの話とかしたいです。
近年のラブライブ!シリーズはAqours、虹ヶ咲、Liella!を主軸に展開しているのもあって誰かとラブライブ!の話をする時も自然とμ‘sの話題が少なくなっていくんですよね。
自分にとって一番の推しがμ‘sのメンバーなのもあってもっともっとμ‘sのお話をしたいなと思っています。
あと単純に誰かの推しの話も聴きたいですね。
僕自身がそうなのもあって、推しについて聞くことでその人が何を大事にしているのかとか、何に感動したのかが分かると思っていますし、単純にそういう話をするのが僕が好きっていうのが大きいです。
こうしてお互いが好きなものを発信していくことで、優木せつ菜ちゃんが望む世界の実現に微力ながらも助力できたら嬉しいですね。
最後に
ラブライブ!シリーズ11周年おめでとうございます!
ラブライブ!と出会って5年、いろんなことがありました。
特に「南ことりちゃん」という心から尊敬できて大好きと言える人と出会えたことは、僕の人生に置いて物凄く大きな財産です。
彼女を好きになれたから、自分にとって大切な価値観を見つめ合うことができましたし、ずっとラブライブ!に対する熱量を失わなかったのも彼女への気持ちが常に心にあったからだと思います。
楽しい日々を本当にありがとう。
これからもラブライブ!が見せてくれる、「予想も超えてく展開」を楽しみにしています。
ラブライブ!の今後のますますの発展とスクールアイドルの明るい未来を願って!
ヨキニハカラエミナノシュー
メンバーカラーと自己表現
どうもSUNです。
先日スクスタメインストーリー27章で栞子ちゃんの新曲「翠いカナリア」が登場しましたね~
待ちに待った栞子ちゃんの新曲ということで、多くの方が歓喜の歌を歌い、踊り狂ってフォルクロアしてたことは記憶に新しいですね(は?)。
そんな中、「翠いカナリア」という曲名と栞子ちゃんについて気になることがあったので今回記事を書くことにしました。
僕の記事として初めて(?)になる単独の考察記事のような形になりますが、この記事単体でまとめるつもりはないですし、むしろこの記事を元に皆さんの色々な意見や考察を聴きたいなと思っています。
ですので見た方は是非ご自分の解釈や意見を教えてくださると嬉しいです!!
では早速本題に入りたいなと思います。
楽曲の色
ラブライブ!シリーズの中でμ‘s、Aqoursのソロ楽曲と虹ヶ咲のソロ楽曲を比較した時、後者のほうがキャラクターの色というか心情や土台のようなものが目立つなと感じています。*1
虹ヶ咲はソロで進行するコンテンツなだけあって、一人のキャラクターをより掘り下げられるからというのが楽曲の方向性にも関係しているのでしょうか。
その虹ヶ咲の楽曲の中でも特に栞子ちゃんの楽曲は楽曲そのものに込められたキャラクターの色や想いがわかりやすく歌詞として表現されてるなと感じています。
「決意の光」と「翠いカナリア」
現在2つある栞子ちゃんの曲の歌詞そのどちらにも彼女のパーソナルカラーである翡翠色(あるいは同じ漢字を使った翠い)という言葉が使われていることに着目しました。
決意の光
決意の光で翡翠色という言葉が使われているのはサビですよね。
「髪飾り強く結び直して 『翡翠色』の光放って 進んでゆく迷いの向こう側へ 揺るぎないキズナ胸に 物語は次の舞台へ そうここから輝き紡いでゆけ」
「髪飾り強く結び直して 『翡翠色』の光放って 立ち上がろう 幾度つまづいたって 揺るぎないキズナ胸に 目の前に広がる舞台で 伝えたい 思い 歌に乗せて」
虹ヶ咲において色=夢と言い換えれるとしたとき、*2「翡翠色の光を放つ」ということは彼女の夢ややりたいことを表明するというように言えると思います。
栞子ちゃんのやりたいことは
「世界を今より少しでも善くすること 不幸な人がいない世界にすること」
その為に彼女は人を支え、導いていくんだよ、そういうスクールアイドルを目指しますよという自己紹介*3と捉えられる歌詞だと思います。
また1番では続く歌詞に「進んでゆく迷いの向こう側へ」とありますが、栞子ちゃん自身のように夢への道で迷っている人に向けて、彼女はその先へ進めるように背中を押してくれる存在なんだよと読むことができます。
つまり「翡翠色」という彼女自身を表す単語を、自分はこういう人間ですよこういう方針なんだよという歌で自分を表すための媒介材として扱っているんですね。
翠いカナリア
栞子ちゃんの新曲である翠いカナリアでもサビとして、また曲のタイトルにも彼女のパーソナルカラーを表す「翠」という漢字が使われています。
叫んでいる 翠いカナリア
スクスタメインストーリー27章でも語られたように、この曲は彼女が姉の薫子に対してしまいこんでいた思いをぶつけるために用意したものです。
「翠いカナリア」が栞子ちゃん自身ならば、まさに自分の秘めた気持ちを姉に布告している様を表していると思います。
ただのカナリアではなく「翠い」という栞子ちゃんを表す単語が付くことで「翠いカナリア」という存在が自分自身の気持ちを表現している栞子ちゃんのことなんだという強調の意味を加えていると思います。
自分自身を色で表す
「決意の光」と「翠いカナリア」でいずれも栞子ちゃん自身を表す単語として彼女のパーソナルカラーを表す言葉が使用されていることを確認頂けたと思いますが、2曲そのどちらにも共通していることが栞子ちゃん自身の内に秘めた想いや宣言を伝える曲だということです。
現状栞子ちゃんの曲は2曲のみなので確実なことは言えませんが、彼女は自分自身の気持ちを伝える時に自分を表す言葉(今回なら彼女自身のパーソナルカラー)を歌詞に込める傾向のようなものがあると感じました。
逆説的に言えば、翡翠色という色を表す単語あるいは翡翠色という単語そのものが歌詞にあればその曲は栞子ちゃんの内なる気持ちを吐露したものであるという見方ができると思います。
実は自分の秘めた気持ちを吐露した曲としては栞子ちゃんよりも前に例があります。
それはMELODYです。
(MELODYの視聴は11:20~)
奇しくも生徒会選挙で戦い、世界規模の大きな夢を持つ共通点のあるせつ菜ちゃんの曲になります。
この曲には以下のような歌詞があります。
「走り抜けた思いが 心を染めてまっかっか 涙 飛んでった」
「溢れ出した笑顔は 頬を染めてまっかっか 痛みは 飛んでった」
「まっかっか」をせつ菜ちゃんのパーソナルカラーであるスカーレットと解釈すればそれぞれ「心(or頬)がせつ菜色に染まった」と読むことができます。あるいはせつ菜色に溢れたのような読み方でもいいかもしれませんね。
MELODYが挿入歌として使用されるキズナエピソードは「世界中を大好きで溢れさせる」という野望を持つせつ菜ちゃんが自分の両親には自分の大好きを隠しているという矛盾を指摘され、彼女が両親と彼女自身の大好きとまっすぐ向き合うという内容のもので、「中川菜々」が真の意味で「優木せつ菜」へと変身するお話と言ってもいいでしょう。*4(読んでないなら早くスクスタをやるんだ…せつ菜ちゃんのキズナエピソードはマジで神だから全人類読んでくださいお願いします。)
この曲の歌詞には、キズナエピソードを通して菜々ちゃんが両親に対して抱いていた感情や不安の中で大切にしていることが綴られています。
そうした菜々ちゃんの胸の内が書かれた歌の歌詞に彼女のパーソナルカラーを表す言葉があることは偶然ではないと感じています。
まとめ・あとがき
というわけで今回は「歌詞にメンバーカラーを表す言葉がある時、その曲はメンバーの自己表現の形である」という仮定を提唱する内容となりました。
冒頭でも述べた通り、この記事でこれだ!!と結論を言うつもりはありません。
皆さんも是非歌詞にメンバーカラーがあることの意味や解釈を考えてみてください。僕自身ラブライブ!シリーズ全てのソロ楽曲の歌詞をしっかり確認できている自信はないので、もし異論があれば教えて頂きたいですし皆さんの意見等が聞ければ嬉しいです!!
では今回はこの辺で筆を置かせて頂きます。
ヨキニハカラエミナノシュー
*1:もっと具体的に言うと虹ヶ咲発足前に登場したソロ楽曲=μ‘sのソロ楽曲全てとAqoursの最初のソロ楽曲群が前者、虹ヶ咲のソロ楽曲とAqoursのソロアルバム収録の楽曲群が後者という印象。前者はキャラクターのテーマソングで、後者はキャラクターの人生という物語上の挿入歌という感じ。あくまで印象で全てがそう当てはまる訳ではないのであしからず。例えば「なわとび」なんかはμ‘sのソロ楽曲ですが後者のパターンに当てはまると思います。逆に虹ヶ咲の1stアルバムに収録されている楽曲の中には前者に当てはまる物もあるといった感じです。
*2:NEO SKY,NEO MAP!の歌詞にも「夢の色」という言葉が使われていたりしますよね。夢の色というものは人が夢に向かって進んだ軌跡の色なのだと思っています。それが歩夢ちゃんならライトピンク、かすみんならパステルイエローという風に。皆の軌跡が一カ所に集まるスクールアイドル同好会という場所を見た時、彼女達の軌跡の集合が虹のようにみえるのかなと思います。
*3:決意の光は3rdアルバムに収録されていますが栞子ちゃんにとっては最初の曲、つまり1st楽曲です。虹ヶ咲の1stアルバムに収録された楽曲がメンバーの自己紹介を兼ねたような曲が多いのを鑑みても遠くない解釈なんじゃないかなと思っています。
*4:真の意味での優木せつ菜への変身=大好きに対する矛盾がなくなるという解釈。まっかっかに染まるというのを優木せつ菜に色に染まると言うのは、菜々ちゃんの中での優木せつ菜の純度が高まるといったニュアンスだと解釈しています。