太陽のつぶやき

独り言を喋ります

メンバーカラーと自己表現

どうもSUNです。

 

 

先日スクスタメインストーリー27章で栞子ちゃんの新曲「翠いカナリア」が登場しましたね~

youtu.be

 

待ちに待った栞子ちゃんの新曲ということで、多くの方が歓喜の歌を歌い、踊り狂ってフォルクロアしてたことは記憶に新しいですね(は?)

 

 

そんな中、「翠いカナリア」という曲名と栞子ちゃんについて気になることがあったので今回記事を書くことにしました。

 

 

僕の記事として初めて(?)になる単独の考察記事のような形になりますが、この記事単体でまとめるつもりはないですし、むしろこの記事を元に皆さんの色々な意見や考察を聴きたいなと思っています。

 

 

ですので見た方は是非ご自分の解釈や意見を教えてくださると嬉しいです!!

 

 

では早速本題に入りたいなと思います。

 

楽曲の色

ラブライブ!シリーズの中でμ‘s、Aqoursのソロ楽曲と虹ヶ咲のソロ楽曲を比較した時、後者のほうがキャラクターの色というか心情や土台のようなものが目立つなと感じています。*1

 

虹ヶ咲はソロで進行するコンテンツなだけあって、一人のキャラクターをより掘り下げられるからというのが楽曲の方向性にも関係しているのでしょうか。

 

その虹ヶ咲の楽曲の中でも特に栞子ちゃんの楽曲は楽曲そのものに込められたキャラクターの色や想いがわかりやすく歌詞として表現されてるなと感じています。

 

「決意の光」と「翠いカナリア

 

現在2つある栞子ちゃんの曲の歌詞そのどちらにも彼女のパーソナルカラーである翡翠色(あるいは同じ漢字を使った翠い)という言葉が使われていることに着目しました。

 

決意の光

決意の光で翡翠色という言葉が使われているのはサビですよね。

 

「髪飾り強く結び直して 『翡翠』の光放って 進んでゆく迷いの向こう側へ 揺るぎないキズナ胸に 物語は次の舞台へ そうここから輝き紡いでゆけ」

 

 「髪飾り強く結び直して 『翡翠』の光放って 立ち上がろう 幾度つまづいたって 揺るぎないキズナ胸に 目の前に広がる舞台で 伝えたい 思い 歌に乗せて」

 

 

虹ヶ咲において色=夢と言い換えれるとしたとき、*2翡翠色の光を放つ」ということは彼女の夢ややりたいことを表明するというように言えると思います。

 

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栞子ちゃんのやりたいことは
「世界を今より少しでも善くすること 不幸な人がいない世界にすること」

 

その為に彼女は人を支え、導いていくんだよ、そういうスクールアイドルを目指しますよという自己紹介*3と捉えられる歌詞だと思います。

 

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また1番では続く歌詞に「進んでゆく迷いの向こう側へ」とありますが、栞子ちゃん自身のように夢への道で迷っている人に向けて、彼女はその先へ進めるように背中を押してくれる存在なんだよと読むことができます。

 

つまり「翡翠色」という彼女自身を表す単語を、自分はこういう人間ですよこういう方針なんだよという歌で自分を表すための媒介材として扱っているんですね。

 

翠いカナリア

栞子ちゃんの新曲である翠いカナリアでもサビとして、また曲のタイトルにも彼女のパーソナルカラーを表す「翠」という漢字が使われています。

 

叫んでいる 翠いカナリア

 

スクスタメインストーリー27章でも語られたように、この曲は彼女が姉の薫子に対してしまいこんでいた思いをぶつけるために用意したものです。

 

「翠いカナリア」が栞子ちゃん自身ならば、まさに自分の秘めた気持ちを姉に布告している様を表していると思います。

 

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ただのカナリアではなく「翠い」という栞子ちゃんを表す単語が付くことで「翠いカナリア」という存在が自分自身の気持ちを表現している栞子ちゃんのことなんだという強調の意味を加えていると思います。

 

自分自身を色で表す

「決意の光」と「翠いカナリア」でいずれも栞子ちゃん自身を表す単語として彼女のパーソナルカラーを表す言葉が使用されていることを確認頂けたと思いますが、2曲そのどちらにも共通していることが栞子ちゃん自身の内に秘めた想いや宣言を伝える曲だということです。

 

現状栞子ちゃんの曲は2曲のみなので確実なことは言えませんが、彼女は自分自身の気持ちを伝える時に自分を表す言葉(今回なら彼女自身のパーソナルカラー)を歌詞に込める傾向のようなものがあると感じました。

 

逆説的に言えば、翡翠色という色を表す単語あるいは翡翠色という単語そのものが歌詞にあればその曲は栞子ちゃんの内なる気持ちを吐露したものであるという見方ができると思います。

 

 

実は自分の秘めた気持ちを吐露した曲としては栞子ちゃんよりも前に例があります。

 

それはMELODYです。

www.youtube.com

(MELODYの視聴は11:20~)

 

奇しくも生徒会選挙で戦い、世界規模の大きな夢を持つ共通点のあるせつ菜ちゃんの曲になります。

 

この曲には以下のような歌詞があります。

「走り抜けた思いが 心を染めてまっかっか 涙 飛んでった」

 

「溢れ出した笑顔は 頬を染めてまっかっか 痛みは 飛んでった」

 

「まっかっか」をせつ菜ちゃんのパーソナルカラーであるスカーレットと解釈すればそれぞれ「心(or頬)がせつ菜色に染まった」と読むことができます。あるいはせつ菜色に溢れたのような読み方でもいいかもしれませんね。

 

 

MELODYが挿入歌として使用されるキズナエピソードは「世界中を大好きで溢れさせる」という野望を持つせつ菜ちゃんが自分の両親には自分の大好きを隠しているという矛盾を指摘され、彼女が両親と彼女自身の大好きとまっすぐ向き合うという内容のもので、「中川菜々」が真の意味で「優木せつ菜」へと変身するお話と言ってもいいでしょう。*4(読んでないなら早くスクスタをやるんだ…せつ菜ちゃんのキズナエピソードはマジで神だから全人類読んでくださいお願いします。)

 

この曲の歌詞には、キズナエピソードを通して菜々ちゃんが両親に対して抱いていた感情や不安の中で大切にしていることが綴られています。

 

そうした菜々ちゃんの胸の内が書かれた歌の歌詞に彼女のパーソナルカラーを表す言葉があることは偶然ではないと感じています。

 

 

まとめ・あとがき

というわけで今回は「歌詞にメンバーカラーを表す言葉がある時、その曲はメンバーの自己表現の形である」という仮定を提唱する内容となりました。

 

冒頭でも述べた通り、この記事でこれだ!!と結論を言うつもりはありません。

 

皆さんも是非歌詞にメンバーカラーがあることの意味や解釈を考えてみてください。僕自身ラブライブ!シリーズ全てのソロ楽曲の歌詞をしっかり確認できている自信はないので、もし異論があれば教えて頂きたいですし皆さんの意見等が聞ければ嬉しいです!!

 

では今回はこの辺で筆を置かせて頂きます。

 

 

 

 

ヨキニハカラエミナノシュー

*1:もっと具体的に言うと虹ヶ咲発足前に登場したソロ楽曲=μ‘sのソロ楽曲全てとAqoursの最初のソロ楽曲群が前者、虹ヶ咲のソロ楽曲とAqoursのソロアルバム収録の楽曲群が後者という印象。前者はキャラクターのテーマソングで、後者はキャラクターの人生という物語上の挿入歌という感じ。あくまで印象で全てがそう当てはまる訳ではないのであしからず。例えば「なわとび」なんかはμ‘sのソロ楽曲ですが後者のパターンに当てはまると思います。逆に虹ヶ咲の1stアルバムに収録されている楽曲の中には前者に当てはまる物もあるといった感じです。

*2:NEO SKY,NEO MAP!の歌詞にも「夢の色」という言葉が使われていたりしますよね。夢の色というものは人が夢に向かって進んだ軌跡の色なのだと思っています。それが歩夢ちゃんならライトピンク、かすみんならパステルイエローという風に。皆の軌跡が一カ所に集まるスクールアイドル同好会という場所を見た時、彼女達の軌跡の集合がのようにみえるのかなと思います。

*3:決意の光は3rdアルバムに収録されていますが栞子ちゃんにとっては最初の曲、つまり1st楽曲です。虹ヶ咲の1stアルバムに収録された楽曲がメンバーの自己紹介を兼ねたような曲が多いのを鑑みても遠くない解釈なんじゃないかなと思っています。

*4:真の意味での優木せつ菜への変身=大好きに対する矛盾がなくなるという解釈。まっかっかに染まるというのを優木せつ菜に色に染まると言うのは、菜々ちゃんの中での優木せつ菜の純度が高まるといったニュアンスだと解釈しています。