素直な気持ちを聞いて欲しい
まずは1つポジティブな気持ちを話させてください。
僕が愛したラブライブ!という作品。そして僕が敬愛する推しは、
「色んなものを受け入れ、変化していく」そんな価値観を尊びました。
そんな生き方が大好きで、自分もそうありたいと思っていて。
だから今回の件を受けて変わっていくものはたくさんあると思うけど、それらを全てポジティブに捉えて楽しみにしていきたい。前を向いていきたい。そう思っています。
どんな人で、どんな声だろう?コーレスが変わったりするのかな?
ライブではどんなパフォーマンスを魅せてくれるのだろう?
今まで振りが分からなかったせつ菜ちゃんのダンスが見られるようになるね。
ライブでは裏で既存の音源が使われて、楠木さんの声と新しい声が重なって「エモいなぁ……」なんて思ったりするのかな……?
ぱっと思いつくだけでも楽しみな未来が沢山。
そんな寂しいだけじゃない素敵な未来があることが今から楽しみです。
でも欲を言えばもっともっと楠木ともりがキャストを務める優木せつ菜/中川菜々が見たかった。
その気持ちは消える訳ないんです。
「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会が伸び伸びと活動し、もっと広く沢山の大好きを溢れさせてほしい」って言ってくれたけど、その景色を見る人間の中には優木せつ菜だけじゃなくて楠木さんも居て欲しい。
そのためにずっとスカーレットを振り続けたかった。
だから凄く、凄く寂しいです。
「どんな形でも楠木さんがせつ菜を表現することが大切」だと、皆が思っていて。
どんな形でも優木せつ菜が、中川菜々が、楠木ともりが受け入れられる。そんな優しい世界はきっとあるハズで。でも、そんな世界を唯一受け入れられなかったのが楠木さん本人なんだと、そう思います。
きっと沢山悩んだんだと思います。
誰も責めないけど、虹ヶ咲のステージに自分がいない、踊れないことは事実。
でもそんな自分を受け入れてもらえるほどせつ菜の世界は優しくて。
でも任された優木せつ菜/中川菜々役という責務を全うしなければいけなくて。
優木せつ菜は"本気系スクールアイドル"なんですよ。
持ち前の純粋さと熱さで、まっすぐ不器用に手加減なしに進んでいく。
そんな人で。
そんなせつ菜ちゃんは歌や言葉で何度も伝えてくれてるんですよね。
「自分の気持ちに嘘つくな」って。
「はじまったのなら、貫くのみです」と。
きっと楠木さんのはじまりは、優木せつ菜/中川菜々役である前の一人の役者として抱いている気持ちは「キャラクターと本気でまっすぐ向き合うこと」なんだと思うんです。
キャラクターのことを、仲間のことを本気で考えて真摯に向き合える。
そんな彼女の決断を後押ししたのは、きっと他でもない優木せつ菜だったのかもしれないなと。
今後僕がどんな気持ちで虹ヶ咲を、優木せつ菜/中川菜々と向き合うのか。
その答えはこれまでラブライブ!というコンテンツがシリーズを通して教えてくれています。
今ある物事と、そこに込められた理由や意図を受け入れて、そこから生まれる未来に希望を抱くこと。
なくなるものなんてなくて、そこに存在した事実や想いは残るから、それが自分の中で消えないように前に進むこと。
これを読んでいるあなたはどうか分からないけれど、僕はもう前へ進む準備はできてるつもりです。
でも、あの瞬間からふとしたときに
「優木せつ菜・中川菜々役 楠木ともり降板のご報告」という絶対に、本当に見たくなかった、もう見なくて済むのかななんて思ってた文字列が何度も何度も浮かび上がるんです。
その度に、もう僕個人がどうしたって変えられない現実がある不甲斐なさや悔しさ、彼女自身からそう決断するしかなかったことのやるせなさ、未来に希望を抱いても"その時"は必ず来るんだという寂しさが一気に押し寄せてきてどうしようもなくなってしまうんです。
カバンに必要なモノは詰め込んで、外に出る準備はできてるのに玄関の鍵が回らない。
そんな気分で。
多分今僕が欲しいのは"確証"なんです。
これからもずっと楠木ともりが虹ヶ咲のキャストとして活動してきた時間と軌跡が証明され続けること。
楠木さんがずっと虹ヶ咲を、せつ菜と菜々を大好きでいて、大好きを叫び続けてくれること。
楠木さんができる形でいいから、楠木さんがせつ菜と歩んだものをまた見せてくれること。
誰かが呼んだら楠木さんがまた違う形で楽しそうな顔を見せてくれること。
新しい優木せつ菜/中川菜々を、皆が受け入れてくれること。
楠木さんがせつ菜と一緒に叫んだ野望が叶うこと。
僕だけが受け入れて未来に進んでも、そこに楽しい未来が待ってくれなかったら悲しいんです。
ただただ安心したいんです。不安なんです。
どうか、どうか未来が楽しいものであって欲しい。
僕には見たい景色が新しく産まれました。
・楠木さんの活動の中で、「あぁ、この人の中で優木せつ菜が生きてる」って感じたい。
・僕たちと同じように楠木さんも1人の"あなた"として「あなたと叶える物語」に参加し続けて欲しい。
・欲を言えば、優木せつ菜の曲をあなたに作詞作曲して欲しい。
・いつか虹ヶ咲が大きなステージに立って1つの夢を叶えた時、楠木さんにも関係者席でその景色を見て欲しい。
誰かがその手を引いて、この場所は楠木さんがせつ菜として歩んだ時間と楠木さんから託された誰かが作った時間無くして成り立たないと14人で証明して欲しい。
終わりにさせないで欲しい。
いつかの"イマ"が楽しいってそう思えるように、これまでと今が無駄ではなかったって僕達で証明して、肯定して、これからの時間を全部大切にしていきたい。
だからどうか、"優木せつ菜/中川菜々役 楠木ともり"を忘れないでください。
ここからは余談です。
最近追加されたスクスタ44章「遠い未来を覗くとき」
皆さんはご覧になられましたか?
このお話には終盤から、「応援」という行為に価値を見いだせない加藤ツムギという少女が登場します。
彼女が言うには
「応援する気持ちには、
自分が気付いてなくてもエゴが潜んでる」
「相手のために、なんて純粋な気持ちはない。
だから応援に意味はない。」
最初この言葉を聴いたときは
「へぇ~そんなこと考える人もいるんだ」って気持ちでまるで共感できませんでした。
でも、最近楠木さんのことを毎日考えるようになって、彼女が言いたいことが少しずつ実感を持ってきた気がするんです。
結局の所、僕がさっき掲げた見たい景色。
あれって結局僕のエゴなんです。
楠木さんの気持ちよりも自分が見たいって気持ちを優先してる。
実際はキャストでなくなるのだから、虹ヶ咲やせつ菜が大好きって気持ちは変わらず有れどそれはそれとして距離を置きたがるかもしれない。
大好きを変わらず叫びたい気持ちがあっても、立場上それが難しくなったりする可能性もある。
結局"願望"に過ぎないんですよね。
この願望が楠木さんの真意に反していたら彼女を傷つけるかもしれない。
でも"応援"ってそういうものじゃないかなとも思うんです。
"応援"って誰のためにするんですか?
応援したい何かのため?
きっと少し違くて。
応援してるものが何かを成したげた時嬉しいですよね。
"嬉しい"を共有したりしたいですよね。
この"嬉しい"が欲しいから人は応援するんだと思います。
つまり、"嬉しい"っていう感情を欲してるんです。
もちろん、この嬉しいって感情は自分一人だけのものじゃなくて周りの人や応援している存在と共有するものでしょう。
でも、応援には感情の欲求が付随するのであれば、純度100%相手のことしか考えてない応援なんて存在しなくないですか?
スクスタ4thシーズンでは、"応援"をキーワードに物語が進んでいくと思います。
今僕が楠木さんに対して抱いてるこの気持ちもきっと応援の1つだと思います。
そんな応援の形、意味について今一度考え直すチャンスなのかもしれません。
多分3月31日のその時には間に合わないと思うけど、ゆっくり時間をかけて自分の気持ちを整理していこうと思います。